2010年6月30日水曜日

ニューエイジ思想は平和にとって無力か?

あるところで次のような意見をいただきました。

「ニューエイジ連中にいつもイライラする。連中は精神的な平和のことばかり言って、実際に平和運動とかの行動をしない。運動に関心も持たない。」

(自分が「ニューエイジ連中」に属するかどうか?は判断に迷いますが、とりあえずそのお仲間として、以下の話を進めます。(笑))

確かに運動に対して関心を持たないとか行動しない面はあると思います。
でも、ニューエイジ連中(笑)の言い分をちょっと言っておきますね。

戦争が起こる根本原因は人間の心だとニューエイジ連中は思っています。(少なくとも私はそう思う。)で、「心の平和」っていうのは、怒りとか憎しみとか貪欲とかを取り除いて、個人の心を平和にすることを目指しています。それが結局のところ、戦争をする根本原因を取り除くことになるわけで、それをやらずに平和は永久に来ない、というのがニューエイジ連中の意見だと思います。

ハンちゃん(Thich Nhat Hanhの教えに「インタービーイング(共依存)」というのがありまして、これは生き物(あるいはもの)はお互いに依存しあって存在しているのだ、という考え方です。仏教の「縁起」ですね。要は、すべてのものは他のものとの関係性において成り立っており、それ自体で独立して存在するものなど何も無い、ということ。
あなたもわたしも共に依存しあって存在しているのであり、あなたがいなければわたしも無く、わたしがなければあなたもない。だから、お互いに助け合って生きていきましょう。といういかにもあま~い、教えです。(笑)


ええと、でもこれは通常の意識状態、つまりわたしたちの日常意識から見ると、あま~い見方に見えるんですが、ここに瞑想(メディテーション)が入ってくると、話は180度変わってしまいます。
自我があるとか、「私」が存在するとか、はたしてそういうことがどこまで事実なのか?瞑想のなかで体験するリアリティはそういう「考え」(自我とか「私」は実はひとつの考えです。)を壊してしまいます。
自分というものの存在が、いいかげんなものであり、いろんな観念や思い込みの上にやっとこさ成り立っているものだ、ということを分からせてくれるのが瞑想です。


だから、その地点から見れば、「インタービーイング(共依存)」こそが人間の生きているリアリティなのであって、他人とは独立して自我があるとか、「私」が単独で存在するとか、そういう考え方は、実は観念の上に観念を重ねて作り出された絵空事、ということになります。私とあなた、日本人とXX人、XX民族と〇〇民族がそれぞれ独立して存在し、相手がいなくても存在できる、という意識であれば、対立が生じた場合は相手を打ち負かすことで生き延びるのが正しい選択となるでしょう。が、しかし、そちらの考え方が絵空事であって、「インタービーイング(共依存)」が事実だとするならば、対応方法は「共存」を第一に考えるしかなくなります。


だから、戦争を本当になくしたいと思うのであれば、まず、心の問題を解決する以外に無い、というのが実はリアリティのあるアプローチであるわけです。ハンちゃんがリトリート(瞑想会)をあちこちで催して、参加者に「トランスフォーム(覚醒)」を促そうとするのもそういうことからだと思います。他のニューエイジな人たちも同じようなことを考えているのだろうと思います。

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